窯出し
なんど経験しても、窯の蓋を開ける瞬間は、ドキドキする。
大きな作品は、何度もテストをして、それから本焼きにかかるので、そうそう失敗する事はない。
それに電気窯は、ガスや灯油や薪のように、炎で焚く窯はと違って、温度や炉内の状態を把握しながら焼成できる。
だから、結果はいわゆる「想定内」であるし、またそうでないと困るのだが、それでも、焼いている時間と、電源を切って冷ましている時間も含めた数日間は、特別な気持ちで過ごすものだ。
これまでに何度か経験した、手痛い失敗からくる不安もある。しかし、期待のほうがいつも大きい。
粉っぽい粘土でできていた作品が、叩くとコンコンと音がする「陶」になって、存在感をもって、目の前に現れるのだから。
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「粘土を焼く」ということは、炉内を高温にすることで、化学反応を起こさせるということ、つまり、常温の時よりも、ものが変化しやすい状態を作ることだ。
醒めた目で見れば、毎朝トースターでパンを焼くことと、原理としては似たものがあるのは確かだ。
しかし、食べ物を焼くための、200-300度はいいとして、焚き火でかなり頑張っても、800度近くまで温度を上げるのはかなり大変なことだ。
まして、鉱物を1200度以上の温度のなかで、化学変化させることは、かなり特別なことなのだ。
土を固めて焼いただけの普通のレンガは、たいてい800-1000度で溶け、窯は崩れてしまう。(最初の耐火煉瓦を焼いた窯の耐火レンガはどうやって焼いたのか考えていると、地下鉄の電車はどうやって入れたのかと、夜も眠れなくなってしまう。)
耐火レンガ以外にも、、鉄板で囲われた温度があがりやすい窯、高温でも溶けない熱線、陶芸の世界ではあたり前だが、一般には特殊な道具のおかげで、粘土を高温の状態にすることができるのが、「焼く」ということだ。
粘土でできていた作品は、窯のなかで、化学反応をする不安定で特別な状態を無事に乗り越えて、安定した物質「陶」になって出てくる。そんな窯出しの瞬間は、だから、特別な儀式を通過した「もの」と出会うような、晴れがましい気持ちが、呼び起こされているのではないか。
それは温度管理をコントローラーがするような電気窯であっても、消えはしないのかもしれない。
焼き上がった「そこに在るもの」の拡大表面
(終)
2011.07.12 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 作品
