蒼々茫々の夕
日落ち、煙満ち、物は物と互いに融け、恍として無我の境に入る。
人語なく、物音なく、灯影なし。
唯蒼々たり、茫々たり。
(以下略)
これは、100年あまり前のちょうど今ごろの季節に、
徳富盧花が、神奈川の逗子で自然の日記として描写した文章の一説である。
(徳富蘆花 「自然と人生」 湘南雑筆 6月7日の記述 「蒼々茫々の夕」より)
今日、6月12日の夕暮れもまた、湿気のなかで「蒼く茫とした夕」だった。
ものの輪郭、思考の輪郭、言葉の輪郭、そして感受性の輪郭までも、
「茫々」でありながら、しかし明らかに作動していることを「悦」としてしる時間。
そこに在るものが、そこに在るままに周りと解け合い、しかし確かに自立するさまを、
想像した。
(終)
2011.06.12 | | コメント(0) | トラックバック(0) | よしなしごと
